匠リニューアル技術支援協会のコラム

コラム

第6回 共同体としてのマンションにどう向き合うか

マンションに住むということ

マンションに住むとは、管理の共同性と生活の共同性を考慮して住み合うことであり、管理の共同性に関しては、共有財産を適正かつ効果的に維持管理していくことが、生活の共同性に関しては、健全な共同生活の運営が求められます。
この2つの共同性に、管理組合(区分所有者)がいかに向き合うのかが問われています。

しかし、実態は、以前にこの紙面でも指摘したように、「おまかせ主義」の横行がみられます。それは、区分所有者の管理組合まかせ、管理組合の一部理事まかせ、管理組合の管理会社、施工会社、コンサルタント等専門家などまかせです。おまかせ主義は、管理組合及び区分所有者の主体的な意思決定を放棄、あるいはないがしろにすることにつながります。おまかせ主義から脱皮するためには、その素地として、マンション居住者相互のコミュニケーションを促すコミュニティの活性化が重要です。

コミュニティとは

しかし、この点について、政治学者の竹井隆人氏は『集合住宅と日本人-新たな共同性を求めて』(2007.10 平凡社)の中で刺激的なことを述べています。(同氏は朝日新聞の2008年7月21日付朝刊に「“異なる他者”とつくる社会」と題して、同様の主旨の一文を寄せています)。

竹井氏は、コミュニティに関し、「顔見知りによるコミュニケーションが可能な小規模集団で、排他的でなく持続的な共同性を形成しているのであればよいが、それが強いぶん絆帯を招く場合もある。コミュニティという強い絆帯は、ともすればその集団外では通用しない道徳をふりかざす源泉となり、それがより大きな集団での共同性の形成を阻害することにもなりかねない」とその危うさを指摘。

また、「コミュニティを絶対視し、それを言い募れば“共同性”が形成されると信じ込む悪しき精神主義、言い換えれば、ある種の言霊にも似たイリュウジョン(幻想)を排することが必要ではないか」、さらに「集合住宅とは一つの政体(政治体)であって、居住者が主体となった自治組織が、いわば、“私的政府”として集合住宅全体を統治し、長期にわたりその“共同性”の維持向上に努めていく、その政治的機能に着目することが必要である」などと述べています。

おざなりな意思決定からの脱皮

こうした論にふれ、コミュニティのあり様は、マンションの住み心地を左右するだけでなく、健全な意思決定を担保する上で重要であると考えてきただけに、やや違和感を覚えました。

しかし、「おまかせ主義からの脱皮」からさらに踏み込んで「おざなりな意思決定からの脱皮」が必要なのではと感じた次第です。多数決で課題を処理すれば良いというだけでなく、小さな声や異論にも耳を傾けること、区分所有者が的確に判断できる情報の共有に努めること、自由闊達に話し合う場をもつことなどが「おざなりな意思決定からの脱皮」をする上で必要なことではないでしょうか。

竹井氏はあとがきで「他者を包摂する“公共性”につながりうる“共同性”をつくりあげていく“ガバナンス”を内包する集合住宅に私は期待する」とも述べています。マンションの実態を考えると、この期待に応えることの難しさを感じますが、共同性の意味を理解しつつ、マンションの管理運営に真摯に向き合っていきたいものです。

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